魔法の万華鏡 ぽんぴん の ヒプノセラピー

いのちの保育園

ふれると触るの違い

人間関係が上手くいかない
なんだか、他人に心を開けない
友達はたくさんいるのに、なんだか孤独だ
そんな風に感じることがあると思います。
その思いの根っこにあるのは
「モノ」としてさわられたという
バーストラウマなのかもしれません。

生まれてすぐに、体重を量られ
身長を測られるなど
私達の多くは、この「モノ」としてさわられた記憶を
思い出せないほど深いところに抱えています。
そして、それが人として誰かと関わる時に
障害になってしまうことがあるんです。


「ふれる」と「さわる」
漢字は同じでも、その行為は
正反対の意味合いを持っています。

ママが、赤ちゃんに授乳する時
大きくなぁれと愛情いっぱいで接する時
愛しい恋人を抱きしめる時
ふれる・・・って、そんな関わり方なのだと思います。
肌を通して、心で接触すること
それが「ふれる」です。

「さわる」は、
本にさわる。
壁にさわる。
手にさわる。
足にさわる。
そこには、皮膚が何かに接触する事実があります。
さわる対象は、往々にしてモノです。
大人になると
駅の混雑時に腕をさわられ
ちょっと待てと、肩をさわられ
そう、人格を持ったひとりの人間としてではなく
なにかの理由に基づく行動の結果、
「モノ」として、さわられているんです。

自分自身でさえも
お風呂に入って、身体を洗うという目的で
自分の身体にさわっているだけで
その日の疲れを労わって
自分自身に愛情を持ってふれることは
なかなかできません(汗)

いたわりの気持ちを持って
あなた自身の両肩をやさしく抱いてください。
そして、あなたの手の体温と
ふれた部分の体温がなじむまで
ゆっくりと時間を置いてください。
これが自分に「ふれる」ということです。

新しく生まれる赤ちゃん達に
生まれた瞬間から「さわられる」ではなく
「ふれられる」を感じてもらえたら
「モノ」扱いされたなんていうバーストラウマがなく
認められたひとりの人として、
愛情をもってふれてもらいながら
人生の一歩を踏み出してもらえたら
いわれのない孤独感に悩まされることも
グッと少ない、もしくは皆無の日々を
過ごすことができるかもしれません。

もちろん、先ほど書いたように
あなた自身で、自分に「ふれる」を体感してもらえます。
そして、それは繰り返すほどに
あなたの「モノ」として扱われたという原体験を
少しづつやわらかにしていってくれることでしょう。

ただやはり人にふれてもらうこととは違います。
他人に「ひと」として扱われる
他人にちゃんと「ふれてもらう」と
「これでいいんだ、大丈夫だ」という思いが溢れ
認められているという気持ちがわいてきます。
まずは、パパになるあなたに
その感覚を実感していただきたいと思っています。